零から

気になることやその日のことを日々綴るブログです。

全ての時間に価値をつける。あなたの時間は一体いくら?

どうもゆうです。

 

 

ただの日記というのも、書いていると、書くことがなくなってしまいます。

 

ということで、今回は時間についての考え方について、書きたいと思います。

 

あなたの時間は一体いくら?

 

時間は有限

時間は有限。

 

この場合の時間っていうのは、あなたが過ごせる最大の時間のことです。

 

多くの人は無限に感じているよね?

僕もそうです。

 

自分が、明日死ぬなんて思っていません。

僕も大学生ですし、今この瞬間に心臓病で倒れて死ぬということは考えられません。

 

どちらかと言えば、大学を卒業したら、就職して、結婚して、子供を育てて、出世して、老後は犬を飼って…と先のことを夢想しています。

 

このときに、僕の中には無限の時間が広がっています。

 

もちろん、老後の先には死が待っているということは考えています。

ただ、それに至るまでの時間というのは、夢想している間は考えていません。

 

僕にとって、今まで生きてきた20年程に比べると、これから生きていく60年~80年というものは、考えられないからです。

 

そうなったときに、時間の価値というものはどうなるのか。

そして、そうであるときに、時間をどう扱えばいいのかが重要視されますよね。

 

時間の価値の客観的判断

 

時間の価値とはいったい何でしょうか。

 

誰かが切り売りしているわけではないですから、決めるのは自分自身ですよ。

 

そう考えるのは結構だけれど、客観的に見て決められる部分もあるじゃないですか?

 

例えば、僕とハリウッドスターならば、きっとハリウッドスターの方が、時間の価値は高いですよね。

だって、僕がしょうもないことをしている間に、彼らは何百万というお金を稼いだりしているのだから。

 

これは、給与などを基準として、時間の価値判断を行っていますね。

 

また、彼らはきっと僕よりも時間に対して、タイトに向き合っているでしょう。

明日は撮影だから、今日はこれをしておかないと!ああ、忙しいぞって。

 

彼らにとって、時間というのは、私よりも少なすぎるものです。

 

これは、時間に対する欲求を基準として、時間の価値判断を行っています。

 

このように、時間というものは、人によって客観的に見ても、価値に上下がつくような感じがします。

 

若者に本当の意味での時間の価値判断はできない

先の項では、価値判断は客観的にも、主観的にも可能であることを述べました。

 

しかし、本質的な時間の価値判断は行えていないような気がします。

 

例えば、自分が子供の時の時間をひどく恋しく思うことなどはありませんか?

 

故郷で過ごした日々や学校で部活をしていた日々を、とても貴重な体験であったと語ったりすることです。

 

そのような感情を、僕達は当時に思っていたでしょうか?

今、この瞬間が本当に貴重であると、考えていましたか?

 

僕は、学校の部活なんかは、めんどくさい!って感情のときが多かった気がします。

勉強なども嫌いだったから、嫌々やっていました。

 

ところが大学生になると、あんなにつまらなかった部活の記憶が輝いて見えるんです。

 

このように、若い人程、そのときどきの時間の判断が行えない傾向にあります。

 

だから、大学生や高校生は、バイトに明け暮れて、お金も貯めずに遊びに使ってしまうような人がいるわけです。

 

もちろん、バイトをして学費を稼いだり、生活費を稼ぐ人の方が多いです。

遊びで使うような人は少数派でしょう。

 

時間に価値をつける

若い人が時間を価値判断するのに、手っ取り早いのが、時間に具体的な価値をつけるということです。

 

例えば、今こうして記事を書いている30分間で600円稼げたのに。とかね。

 

僕の場合はこのように、お金で例えましたが、他のでも構わないと思います。

 

今の一時間でダンスの練習ができたのに今こうしている間にも部屋を掃除できたのに、とかです。

 

なんでもいいので、今自分がしたいことや、最も重視していることを頭に思い浮かべましょう。

 

ちなみに、今の私の場合は、今ああした間に記事が書けたのに、です(笑)。

 

こうすると、いつもよりも充実した生活が送れるようになります。

 

だって、今何かをしているときが、自分にとっては最もやりたい何かをできたはずの時間になるから。

 

切り売りされた時間

時間に価値をつけられるようになったときに、その人の時間は切り売りされるようになります。

 

売るといってはいますが、単純に言うと、時間がそのときどきで特有の価値付けがされるということです。

 

その様子は、無限に繋げられた切り売りされた時間といった感じでしょうか。

 

一つ一つの時間に、それ特有の価値を見出すことができれば、無限に繋がっていたとしても、もう時間の価値判断に悩まされることはないのではないでしょうか?

 

要するに、あなたが切り売りした時間を購入するのに、相応しい値段をつけるということです。

 

ある時間が、あなたが大好きな釣りに行けた時間という価値を時間が持っていた時に、あなたはその時間をどう使うのかということです。

 

仕事ならば、すばらしい能率でこなそう。

料理ならば、いままで以上においしいものにしよう。

友達と遊ぶならば、釣りを忘れるくらい、パーッとあそぼう。

 

そんな風に考えることができて、もしも、その時間が持つはずであった価値を、あなたがそれ以上で過ごすことができたなら、あなたは儲けものではないですか?