零から

気になることやその日のことを日々綴るブログです。

時間が早く過ぎるのは、間違いなく充実しているということなんだよ

年を取るたびに時間が過ぎるのが早く感じる。そう思う方は多いと思う。

 

僕も、ついこの間まで4月だったのにもう6月か、なんて話を友人とすることも多い。まだまだ時間はあると思っていたのに、期末試験まで一ヵ月に近づいていることが、何とも心苦しい。

知り合いの従弟の男の子は、ついこの間に小学生になったそうだ。ちょっと前までは、ようやく色々な言葉を話し始めた、と聞いたばかりだと思っていたのにだ。

 

僕はまだ大学生で、20歳にもなっていないのだから、社会人の方などは、もっとずっと時間のすぎる時間を早く感じているのだろうと思う。

個人差は少なからずあると思うが、多くの人はその範疇にあるだろう。

 

今日、行きつけの床屋に髪を切りに行ったのだが、そこの主人と奥さんとそういった話題に花を咲かせた。奥さんは僕が今年で20歳になると聞いて「最初に来たときはこんなに小さくて、僕今度小学生になるんだ!って言ってたのよ。本当に時間の過ぎる時間は早いわねえ」と言っていた。

その話に乗って、僕も「時間が過ぎるのは早いですよね」などと話をしていたのだが、そのときご主人が言っていることに、とても共感したのだ。

 

「時間が過ぎる時間が早いってことは、いいことだと思うよ。楽しいことをしている間って過ぎる時間が早いだろ?あれと同じで、辛いこととか苦しいことがなくて、楽しく過ごせているっていう証拠なんだと思うよ」

 

僕はこれを聞いて、全面的に同感するような経験をしていた。

僕は高校1年生から2年生の頃は、とある事情から心的にも肉体的にも、とてもつらい時期だった。それは充実とは程遠く、ただ過酷な試練のようなものであったと今は感じている。そのような経験であるから、僕は忘れたいと願うことが多かった。時には大学生の身でありながら思い出して涙を流すほどの経験であった。

 

しかし、それらの経験は忘れることなどできず、寧ろ僕の心に突き刺さったままだ。

そして、これまでの人生を振り返ったときに、見えてくる光景はあのときの辛く忘れたい過去の風景で、人生の時間の多くをそこに囚われていると感じるのだ。

だから、僕は主人の言っていた、楽しく過ごせているっていうのは本当に共感できたのだ。

 

よくネット上などでは、時間を早く感じるのは「新しい経験をしていない」とか「挑戦をしていない」とか、色々のたまう者達がいるのを見る。

 

そんなことはないだろう。本当にそうなら、僕の大学1年生は僕の人生で本当に大きなものになっているだろうが、事実としては間違っている。僕の人生で最も大きなものは、間違いなくあの困難の時代に違いない。

 

その後主人の話のオチはこうだった。

 

「お客さんにもそう言っている人がいたんだよ。壁の中にいた1年は長かったってね。」

 

壁の中にいたお客さんの言葉には妙な重みを感じたが、自然と笑えたね。