スワンプマンは誰だ?をいくつかの主義から考えると
スワンプマンは誰だ?とは、有名な思考実験の1つである。
思考実験
ある男はハイキングにでかけた。
その男は不運にも、沼のすぐそばで雷に打たれて死んでしまう。
その後、とてつもなく低い確率ながら、近くの沼にもう一つの雷が落ちて、泥が化学反応を起こし、今しがた死んでしまった男と、原子レベルで同一の存在を生み出した!
この男をスワンプマン(泥男)と呼ぶ。
スワンプマンは男と原子レベルで同一であるから、脳も同一であり、記憶や知識も同一のものを持っているように思える。
その日、何事もなかったかのように、男のアパートに帰宅したスワンプマンは、友人と食事をしたり、母親と会話したり、日課となっているブログ投稿を行うだろう。
一体スワンプマンは死んだ男であると言えるのか?
スワンプマンは自分のことを、死んでしまった男だと思っている。
周りの人もスワンプマンのことは、死んでしまった男であると信じて疑うことすらないだろう。
確かに、記憶も知識も、何かを感じることも全部同じなら、スワンプマンは死んでしまった男と、どこも違うとこがないように思える。
いくつかの主義から考えた解釈
歴史主義
歴史的な関係の中で、この事象との因果関係がなければいけない。
つまり、そういった関係はないため、スワンプマンと男は別人である。
合理主義
スワンプマンと男は、あらゆる点に矛盾が生じるのは明白である。
故に、スワンプマンと男は別人である。
経験主義
スワンプマンが持つ観念は、正しく経験に基づいたものとは言えず、偽物の知識であると考える。
つまり、スワンプマンと男は別人である。
物理主義
スワンプマンと男は原子レベルで同一の存在である。
そのため、スワンプマンと男は同一人物である。
観念主義
スワンプマンと男は、それぞれ自我を保有している。
つまり、スワンプマンと男は別人だ。
懐疑主義
スワンプマンと男は同一の人物であるかもしれないし、別人かもしれないし、第一彼は哲学ゾンビかもしれないし、今考えている私は悪魔に騙されていて正常な判断を下せないかもしれない。
すなわち、保留である。
まとめ
うーん、難しい問題だ。
ただ、男とスワンプマンが同一人物ならば、以下の矛盾が生じる。
- 沼で死んでいる男性は何者か?
- 沼から減った泥はどこにいったのか?
これらは、スワンプマンと男が別人であるなら、生じない矛盾だ。
僕は合理主義(効率主義)な人だから、スワンプマンと男はどうしても、別人のようにしか感じないなあ。